沖縄で生まれた琉球温熱療法は、熱と栄養で代謝を整えて「自然治癒力」を高める民間療法です。

私と温熱療法との出会い

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私と温熱療法との出会い

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25年近くも子どもたちにピアノを教えてきた私(屋比久勝子)が、温熱療法という未知の世界に足を踏み入れたのは今から20年ほど前のことです。そこに至るには長い道のりがありましたが、今にして思えば、この仕事は私にとって神さまから与えられた天命のような気がします。少し長くなりますが、私が「琉球温熱療法」を始めるに至った経緯をお話ししたいと思います。

22年前、突然両手の指が動かなくなりました。

ちょうど年末の、ピアノの発表会を控えた忙しい時期でした。私が一人で開いたピアノ教室は、成長した弟子たちが次々に教室を増やしていき、その頃は700人以上の生徒を抱える大所帯に発展していました。

ところで、指が動かなくなる前の私は、ピアノを教えながら大病と戦っていました。35年前、それまで病気知らずだった私が、突然急性肺炎にかかってしまいました。良くなっては退院してピアノを教えるという繰り返しのなかで、3回目に再発したとき、呼吸困難に陥って、今日明日の命と医者からいわれるほど容態が悪化してしまいました。心臓に炎症が起きていたのです。

集中治療室に3日間入れられ、強い抗生物質を打たれました。

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命は取りとめたものの、それからは微熱と下痢が続き、どんどん体が悪くなっていきました。病院からはあふれるほどの薬を渡され、薬を飲めば飲むほど具合が悪くなり、病院に行くと新しい病名が増えている。悪性貧血、子宮筋腫、気管支炎、異形狭心症、・・・。病気が増えるたびに、薬も増えていきました。最後には輸血肝炎になり、脾臓がパンパンに腫れて脾臓を摘出しなければいけないと言われました。

けれども、脾臓にも必ず役割があるはずです。脾臓摘出だけは断り、投薬で肝炎と闘っているうちに、自律神経まで異常をきたすようになってしまいました。

退路を断って自分の病に向き合う

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もう体力の限界だった私は、すべての薬を捨てる決意をしました。薬を飲めば飲むほどからだがおかしくなったのですから、止めるしかない。そう思い詰めていました。そして、薬を止めたあとの反動はすごいものでした。何度も何度も倒れて病院にかつぎ込まれました。(あくまでも個人の体験に基づく判断です。皆さんはマネしないでくださいね。)

でも、栄養学の勉強をし、食事に気をつけ、サプリメントを摂るようになったら、体が少しずつ回復してきたのです。特に必要だと思ったのはタンパク質でした。良質のタンパク質を摂ると、黄疸がどんどん改善して快方に向かって行きました。その頃から東洋医学にも興味を持ち、鍼灸などの勉強も始めました。そうしてようやく体調が回復したと思った矢先に、最初で述べたように指が動かなくなってしまったのです。

原因が見つからず、暗中模索の日々

早く何とかしなければと思い、成形外科、外科を何軒も周りましたが、行く先々で告げられる病名は違っていました。外科では筋を切って組織を調べないと原因がわからないと言われましたが、筋を切ったら本当に指が動かなくなってしまいます。ピアノを教えている私にとって、指は命です。筋を切るのだけはお断りしました。
 結局原因はわからず、原因がわからなければ西洋医学では治療のしようがありません。その後、鍼灸院、カイロプラクティックなどさまざまな治療を受けましたが、どうしても良くなりませんでした。

おふろあるとき湯船で手を温めながら動かしてみると、指が動くのです。「温めるのがいちばんいいのだ」と、このとき初めてわかりました。振り返ってみれば、病院から出される湿布薬は全部冷やすものでした。それを貼ると肩から指先までがジーンとしびれ、よけい動かなくなってしまいます。「冷やすのではなく温めなければならないのだ」と私の体が教えてくれたのです。

温めることの効能と温熱療法

素人ながらに「なぜ温めるのがいいのだろうか?」と考えたところ、血行が良くなるからではないかと思いました。指が動かなくなったのは、それまでの薬漬け生活で全身が血行障害に陥っているためではないか、ということに思い至ったのです。

温めることが血流改善にいいと思った私は、温熱療法をいろいろと探しました。お灸はもとよりビワの葉温灸もしました。ジアルテルミーという温熱療法もしました。しかしどれも、悪いところだけを温める部分療法でした。更に、いろいろな温熱療法を試して、グー、パーができるようになるまで約一年かかりました。

悔しさをバネに、ピンチをチャンスに

指が動くようになっても、もうピアノには戻れません。日常生活には困らなかったものの、ピアノを教えるのは無理でした。「せっかくこれだけピアノ教室を大きくしたのに」と思うと、悔しくて残念でなりませんでした。「なぜ私が?」という、恨みに似た気持ちを持ったこともありました。

でもそのとき、神さまは何かを私に教えようとしているのではないかと考えるようになりました。もしかしたら、このピンチをチャンスに変えろと教えているのではないか。だんだんそう思うようになり、「今後の人生をこの温熱療法に賭けてみよう」という気持ちになったのです。

「徳持ち」と呼ばれた生い立ちと戦争体験

私はこれまで何度も死にそうな目に遭いましたが、いつもそれを乗り越えて生きてきました。今夜が峠だと医者からいわれても、自分が死ぬような気がしませんでした。それは私が子どもの頃から「徳持ち(とくもち)」と呼ばれてきたからではないかと思っています。

「徳持ち」とは沖縄の言葉で「運がいい」という意味です。私は戦時中、沖縄でもいちばん激戦地だったところに生まれ、母乳も出ない、食べるものもない状況のなかで生き残ってきました。壕から壕を転々としている間にどんどん衰弱して「一日でも捕虜になるのが遅かったら生き延びれなかったかもしれない」と母からそんな話をよく聞かされたものです。

捕虜になるまでに40人の赤子がいたそうですが、みんな栄養失調などで亡くなったそうです。生き残ったのは、たった一人私だけ。それで子どもの頃から、周りのお年寄りに「徳持ち」と呼ばれるようになったのです。大病を患い、指が動かなくなっても、こうして新しい道で生きていけるのは、私につけられた「徳持ち」という言葉の力が私にそうさせているのではないかと思っています。

私の行っている「琉球温熱療法」

その後私は、ラジウム入り温熱器や温熱ドーム・ベッドの開発と、それらを組み合わせた施術方法の確立、加えて分子栄養学(サプリメント)を取り入れるなど、独自の視点による「琉球温熱療法」を始めました。
 開業当初は、近所のおばあさんが銭湯と間違えて、洗面器とタオルを抱えて来るという笑い話のようなエピソードもありましたが、今では日本国内に34箇所の加盟店ができ、また、韓国や中国にも少しずつ普及しています。これまでに、たくさんの方々に琉球温熱療法を支持していただき、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

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